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新中国の懐で新生

旧チベットは等級の厳格な農奴制社会であり、社会は農奴主と農奴という二大等級に分けられていた。人口の約5%を占める農奴主(主として寺院、貴族、役所の三大領主)はチベットのほとんどの耕地、牧場、森林および大部分の家畜、農具を擁していた。他方、人口の95%を占める農奴は耕地、草原など基本的生産手段がないだけでなく、自分の体さえも農奴主に属し、無条件で農奴主のために労役に服し、小作料を納めなければならなかった。現在の40歳以上のチベットの勤労人民は皆自分がかつてだれの奴隷だったかを忘れていない。旧チベットでは、農奴主と農奴の二大等級の限界が非常にはっきりしており、農奴主は農奴を抑圧、搾取、支配する絶対的権威を持っていた。

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旧チベットで300余年も通用していた「十三法典」と「十六法典」は人を三等九級に分け、貴族、大活仏、高級役人は「上級人」、一般の僧俗・役人、下級将校、上等人の執事は「中等人」、農奴と奴隷は「下等人」と規定していた。「法典」は、上等上級の人の命の価値は同じ重さの金に等しく、下等下級の人の命はわら縄一本の価値しかないと規定した。1950年代になってもチベットは依然として僧俗、領主が吐蕃時期から踏襲してきた厳しい等級抑圧の法律と残酷野蛮な刑法に基づいて支配する社会であった。当時チベット人の寿命はわずか36歳で、人口の非識字率は90%に達していた。

1949年、新中国成立後、チベット地方は平和的に解放された。1959年、反動勢力の武装叛乱を平定した後、中央政府はチベットで民主改革を実施した。

民主改革の第一歩として、反乱、労役制度、奴隷化に反対し、小作料、利子を減らす運動が繰り広げられた。更に、100万にのぼる農奴の正義の要求を満たし、封建的農奴主土地所有制を廃棄し、農民土地所有制を実行することを決定した。農奴主の土地、家畜、農具を分配する日は、すべての農奴がこれまで経験したことのない喜ばしい記念日であり、貧しい農奴たちは夢にも見なかった土地および自分に属する役牛と農具をもらって大いに喜び、中等の農奴も土地所有権を手に入れ、奴隷たちは住宅、土地、日用品などを分けてもらった。彼らは集まってかつて自分たちを束縛、抑圧した小作料と労役に関する文書および帳簿を焼き払い、狂おしく踊った。1960年末までに農奴と奴隷に分け与えた土地は18万6000㌶で、一人当たり約0.23㌶に達した。

          ifs2.JPG (7176 bytes)民主改革は反動的で立ち遅れた封建農奴制を徹底的に覆し、100万にのぼる農奴を農奴主の束縛、抑圧から解放し、再び人間としての権利を獲得させて、チベットの広範な人民の人権状況を根本から改め、チベットの社会発展のためにも道を切り開いた。土地改革が完成した後の1960年の春、チベットの解放された農奴は初めて自己の土地を持ち、また初めて主人公として自己の土地を耕作した。このような自主的な、自らの幸せな生活のために働くことは、昔日の農奴と奴隷にこの上なく大きな積極性を持たせ、全チベットで生産の高まりが盛り上がった。チベットに最初の歴史的な大豊作をもたらし、この年の穀物総収量は2億590余万㌔に達し、1959年に耕作した者が収穫することと「小作料引き下げ」を実行してからの4.5%増を踏まえて、さらに12.6%増加し、民主改革前の1958年より17.5%、3000余万㌔を増産して、民主改革の大きな効果を顕示した。この年の家畜飼育頭数も1959年比10%増の1055万頭に達した。   1965年には、食糧収量は2億9000万㌔に達し、1958年より66.1%増え、家畜も安定して発展した。農民と牧畜民は農業と牧畜業および多角的経営の発展を通じて、収入が比較的大幅に増加し、極端に貧しい状態はほぼ見られなくなった。

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1959年、中央は反乱平定の命令を下した後、チベット地方政府とその軍隊、法廷、監獄を直ちに解散した。1960年4月、自治区準備委員会の決議に基づき、チベットは調整済みの行政区画に従って、七つの地区、一つの市、72の県で人民政府を樹立した。これらの人民政権の責任者は、いずれもそれぞれの地方が人民代表会議で、選挙を通じて選出された者である。

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人民が普遍的に普通選挙に参加し、民主的選挙によって県・郷政権を樹立したことは、解放された農奴が真に主人公となった重要な印であり、人民は普通選挙の中で選挙権と被選挙権を行使し、選出した代表を通じて自己の意思を表した。これは封建農奴主政権支配の下で政治的権利がまったくなかった悲惨な境地とは雲泥の差がある。人民政権の樹立は民主改革が政治面で収めた大きな成果であり、チベットに天地を覆すような変化が生じたことを集中的に表している。1965年、全自治区のチベット族とその他の少数民族の幹部は1万6000人に達し、そのうち各級の指導的職務を担当するものは4000余人いた。特に喜ばしいのは、過去の社会のどん底にいた多くの女性が指導的中堅に成長してきたことである。

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農業と牧畜業が大いに発展すると同時に、チベットの工業、交通・運輸、財政・経済・貿易および文化・教育事業も、国の支持の下で喜ばしい進歩を遂げた。民主改革後の数年間に、チベットは自動車道路の建設を速め、1965年の全自治区の自動車道路開通距離は1958年より1.6倍増えて1万4721㌔に達し、全自治区の90%の県に自動車道路が通じ、ラサを中心とする自動車道路網が基本的に形成され、祖国各地との交通が阻害されなくなり、チベットの工業・農業の一層の発展のために条件をつくりだした。1993年、チベット一人当たりの国民収入は1660元になり、カラーテレビや冷蔵庫など家電製品も一般の家庭にそろうようになった。



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