| 人民のチベット40年 |
|
|
| 2005/08/25 |
|
ブタラ宮とラサ東部市街地の眺め
はじめに
今年はチベット自治区成立40周年にあたる。本紙は今日から「人民のチベット40年」コラムを開設し、自治区成立40年来、党の民族地域自治制度を貫徹実行し、チベット人民を主人公としてきた偉大な実践と成功の経験を継続的に報道するとともに、この40年来、党中央と国務院の親しい配慮、全国人民の強力な支援とチベット人民の団結・奮闘のもと、チベットが経済・社会の各種建設事業で収めてきた大きな成果を報道する。
白雲たなびく青空、連なる氷雪の山々、紺碧の水をたたえた高山湖、素朴で地方色豊かな風俗――世界の屋根、人々の憧れ。
ゼロから発展をとげた近代工業、日進月歩の都市建設、年ごとに増加する農牧畜民の収入、年ごとに改善されるインフラ、チベット自治区成立40年来の巨大な変化は、目を見張るばかりである。
真夏のころ、コンロン峠、ヤルツアンポ江、雪山を超え、草原を抜け、はるかな道を車で行くわれわれは、広大なチベット北部高原、緑したたるチベット南部渓谷地帯、辺境の牧畜民のテント、にぎわう町や村を通過したが、いずこにおいても、移り変わる高原の大きな変化を感じ取ることができた。
チベットの経済発展、社会安定、民族団結、国境防備、人民の生活安定は史上最高の発展期に入った。チベットの変化について、楊傅堂チベット自治区党委員会書記は、「これはなによりもまず党の親しい配慮、全国人民の強力な支援、チベット各民族人民の団結・奮闘があったからだ」と述べた。
親しい配慮:中央指導者層のチベットへの関心
チベットは中南海が深い関心を寄せる地域であった。毛沢東、鄧小平、江沢民という3世代にわたる中央の中心的指導者と胡錦涛氏を総書記とする党中央は、いずれもチベットの山河に関心を寄せ、この地の建設推進に陣頭指揮をとり、この地の現状と未来に心を配ってきた。
チベットでは20世紀50年代に入ってもなお政治と宗教が一体となった封建農奴制度が続いていた。毛沢東を中心とする党の第1世代の中央指導層は、時期を見極めてチベット平和解放の方針を制定した。1951年5月23日、偉大な歴史的意義を持つ「チベットを平和解放に関する取り決め」が調印され、チベット人民は帝国主義の侵略と束縛から永遠に離脱し、祖国の大家庭と一層密接に団結することとなった。この取り決めを目にした毛沢東は、「今後、この団結を基礎に、われわれ各民族間においては、政治、経済、文化などすべての分野で発展と進歩が得られるだろう」と語った。1961年、チベット各地で史上初の選挙が行われ、100万の農奴が解放され、初めて民主的権利を手にした。1965年9月、チベット自治区第1期人民代表大会第1回会議が開催され、チベット自治区の機関とその指導者が選出され、チベット自治区の成立が正式に宣言された。
中国の改革・開放の立案者で、チベットの経済発展と社会繁栄に心を配ってきた鄧小平氏は1987年、チベットの事業を検証する「肝心なことはいかにしてチベット人民に利益をもたらし、チベットを早急に発展させ、中国の4つの近代化の先頭を走らせるかということだ」とする有名な言葉を提起し、中国共産党のチベットでの活動の重点を明らかにした。鄧小平氏はまた、「われわれの少数民族地域発展支援政策は確固不動のものだ」、「党の民族政策は、真の民族平等に立脚すべきだ」などと何度も強調した。また、民族平等を貫徹するに際しては、「多方面に気を配り、民族政策は少数民族地域の経済発展に重点を置くべきだ」、「社会の安定、民族の団結、国家の統一は各民族の根本的利益にかかわるものであり、分裂は民族の意思に反するものであり、中華民族の子孫は祖国統一と民族振興のため、共に奮闘すべきだ」などと述べた。
江沢民氏を中心とする第3世代の中央指導層は、チベットでの活動を非常に重視していた。1989年10月、江沢民氏は中央政治局常務委員会でチベット活動専門研究会を主催し、チベットでの活動に関する10カ条の意見を作成し、チベットの建設・発展の方向を明らかにした。1994年7月に開催された第3回チベット活動座談会で、江沢民氏は、「チベットでの活動は党と国家のすべての活動の中で重要な戦略的位置を占めており、チベットの安定は、国の安定にかかわり、チベットの発展は国の発展にかかわり、チベットの安全は国の安全にかかわるものであり、チベットを祖国から分裂させ、チベットを長期にわたって立ち遅れた状態に置くことは絶対にできない」と強調した。2001年6月、党中央は第4回チベット活動座談会を招集し、今世紀におけるチベット活動の指針と「党建設を着実に強化し、チベット経済を一段と発展させ、チベットの社会情勢の長期安定をめざす」という歴史的任務を明確化させた。
党の第16回大会以降、胡錦涛氏を総書記とする党中央は、新たな時期におけるチベット活動の方針・政策を整備した。
それは以下のようなものである。
中国共産党による指導を堅持し、社会主義を堅持し、民族地域の自治制度を堅持するという原則は不変である。
民族活動と民族地域の経済・社会の発展を小康社会(わりあい余裕のある社会)の建設、社会主義の調和のとれた社会を構築するという全体的目標の中に置き、チベット経済・社会の発展全体を科学で統率し、発展で得られた利益をすべて各民族人民大衆に分け与える。
チベット経済・社会の発展を加速し、農牧畜民の生産・生活条件の改善に重点を置く。
チベットへの援助資金は、農業・牧畜業地域に重点的に配分し、農業・牧畜業地域の生産・生活条件を改善する。
反分裂闘争を継続し、チベットの安定確立に努力し、祖国統一を守り、チベット自治区の安定を維持し、有利な国際環境を維持する。
これら一連の方針・政策を実施することで、チベットの改革・発展・安定の有利な情勢を一段と強固にし、チベットの飛躍的発展と長期的安定を推進し、調和のとれたチベットを構築する新たな、堅実な歩みが開始された。
輝かしい実践:農奴から解放され、主人公となる。
チベットでの民族地域自治制度確立は、チベット人民が政治面で主人公となり、経済面で発展を得るための制度的保障を与えることとなり、チベットの歴史の新紀元を切り開いた。
古いチベットにおいて、われわれは農奴主の家畜となっていた。新しい社会になって、はじめて私は自分が人間であり、みずからの運命の主人公であり、国家の主人公であることを自覚するようになった。8月2日、村落委員会改選選挙にのぞんだ林芝地区米林県南伊珞巴民俗郷の農民パサン氏は、「私は12歳の時農奴主の雇用人となった。罵倒・殴打は日常茶飯事で、腹一杯食べられたことはほとんどなかった。共産党のおかげで、われわれ農奴は経済面で解放されただけでなく、政治面でも主人公となった。まとめによると、チベットで開催された各期の人民代表大会では、チベット族とその他の少数民族が代表の80%を占め、幹部全体の70%以上はチベット族とその他の少数民族が占めている。2002年、チベットの自治区、地区(市)、県、郷(鎮)の4つのクラスでの改選選挙では、自治区全体の93・09%の選挙民が選挙に直接参加し、一部の地域では選挙民の投票率は100%に達した。選挙で選出された代表のうち、チベット族とその他の少数民族の占める割合は自治区と地区・市の2つのクラスでは80%以上、県、郷(鎮)の2つのクラスでは90%以上に達した。
民族地域制度の確立は、チベットの各民族・人民が主人公となるための法的および制度的保障を与えることとなった。まとめによると、自治区成立以降、チベット自治区人民代表大会およびその常務委員会は計220件の地方法規やその他の条例を制定してきた。その内容は政治、経済、文化、教育など各分野にわたるもので、文化財保護、環境保護、チベット語の修得と普及、祖国統一、民族団結強化、分裂活動反対などを含んでいる。これらの地方法規の制定と実施は、チベット人民の特殊権益を守り、チベットでの各種事業の展開を促進する上での重要な法律的保障となった。自治区人民代表大会常務委員会の責任者は、「『中華人民共和国民族地域自治法』の規定をもとに、チベットの実情に合わせ、自治区人民代表大会常務委員会は、全国の法律上で制定された休日を基礎に『チベット暦新年』、『雪頓祭(ヨーグルト宴祭)』など民俗の伝統的祝日を自治区の祝日に組み入れた。これと同時に、チベットの特殊な自然・地理的要素をもとに、勤労者の1週間の勤務時間を法律で規定された全国の勤務時間より5時間少ない35時間と規定した。これらの規定はチベットの実情に合ったもので、チベット族やその他の少数民族の生活習慣を尊重したものであるため、チベット族同胞に歓迎されている」と語った。
自治区成立以降、チベット人民が主人公として、法にもとづいて自治区および民族の事柄を自主的に管理する権利が十分に保障されるようになり、チベット族やその他の少数民族を中心とする幹部陣が、新しいチベットの建設を指揮する主体となった。まとめによると、自治区の幹部全体の74・08%はチベット族およびその他の少数民族幹部で占められている。1965年以降の6期にわたるチベット自治区人民代表大会常務委員会主任と7期にわたる自治区人民政府主席は、いずれもチベット族である。チベット出身のチベット族およびその他の少数民族の公民の中には、国家指導者や国の関係部門の責任者として、直接国事に参与しているものもいる。全国人民代表大会にはチベット自治区の代表19人がおり、そのうちの12人はチベット族公民である。
私と私の父母はいずれも農奴であった。私は6歳の時から領主の牛の放牧をやらされ、その後、領主の雇用人となった。共産党がわれわれを封建農奴制から救い出し、真の主人公とした。全国人民代表大会ラサ市市街区居民委員会党支部書記のロサン氏は、「民主改革後、われわれ居民委員会は、90人の農民に900ムー(1ムーは約6・67㌃)の土地を分け与えた。現在、土地からの収入だけでも農民は年5000元前後の収入を得ている。
どの家も新築され、多くの家庭が医療費免除の優遇措置を受けている。私自身は全人代代表であり、党と国家の指導者と一緒に、国事を協議している。かつての『牛馬』が国の主人公となった。こんなことは古いチベットでは考えられなかったことだ」と述べた。
偉大な道のり:貧しく立ち遅れた状態から繁栄の一途へ
「貧しく立ち遅れた」という言葉こそチベットを形容する正確な言葉だったと言えよう。近代工業、交通、エネルギーなどは皆無で、現地の工業ではマッチ一本さえ作れず、あるものといえば、手作業の作業場だけであった。120余万平方キロの土地に正式な道路は一本もなく、あるものといえば、細い山道や吊り橋などだけであった。外部からチベット入りするには少なくとも1、2カ月、場合によっては1、2年を要することもあった。
党の民族地域政策がチベットの経済・社会の発展に広々とした道を切り開いた。中央の配慮、全国人民の協力は、チベットの経済・社会の発展に活力をもたらした。党中央、国務院は前後4回にわたってチベット活動座談会を開催し、新たな時期におけるチベットでの活動に関する一連の重大政策を決定するとともに、チベットの経済・社会の発展を推進する一連の特殊優遇政策を打ち出し、チベットの経済・社会の健全な発展を導いた。
チベット人民は、党中央のチベットへの大いなる配慮と協力を永遠に忘れないだろう。中央の第3回、第4回チベット活動座談会は、新たな時期におけるチベット活動の指針、主要任務、政策・措置を確定するとともに、
チベット向け支援を確定する重大な決定を下した。これらはチベット活動の2つの重要な里程標となった。1994年から2004年にかけて、中央政府のチベットへの直接投資は504億4100万元に達し、建設項目は農業・牧畜業、交通、通信、都市建設などの諸分野におよんだ。これらの建設項目はチベットのインフラを大きく改善し、地域経済発展の「隘路」を解消することとなった。チベット南部のシガツェでは、チベット支援活動がこの地域の農業の総合生産力強化に寄与し、「チベットの穀倉地帯」の地位を強固なものにした。チベット東南部ではいくつかの新興都市が生まれ、都市の波及効果が強まった。アリ地区に建設された多数のカシミヤ基地は、多くの農牧畜民に利益をもたらした。
チベット人民は中央国家機関、各省・市および全国人民の無私の貢献と強力な支援を永遠に忘れないだろう。1951年から今日までの間に、10万人余りの内地の幹部・職員が党中央の呼びかけに応じ、肉親と別れてチベットでの活動に赴き、祖国統一、チベット経済・社会の発展、民族の団結のために不滅の貢献を行い、中には尊い命を落としたものもいる。とりわけ1994年、中央は中央国家機関関連部・委員会および関係省・市による「チベットへの直接支援、責任分担、定期的交代」という重大決定を下した。その後10年間、直接支援の任務を請け負った18の省・市、61の中央国家機関部・委員会および17の中央企業が2892人のチベット支援幹部を派遣し、チベットに64億元の援助資金を提供し、1698件のプロジェクト建設を援助するなどして、チベットの生産・生活条件を大きく改善し、チベット経済の飛躍的発展をもたらした。
チベット人民は党中央、国務院の懇切な配慮を裏切ることはなく、全国人民の熱い期待を裏切ることはない。自治区成立40年来、チベットの経済・社会は急発展をとげ、インフラは次第に整備され、農牧畜民生産・生活条件は日々改善され、人民の生活水準は日々向上しており、貧しく、立ち遅れた古いチベットは近代的社会主義の新しチベットへと邁進している。
交通などインフラの顕著な改善については、道路、空路、油送管などを主とする立体交通運輸網が初歩的に形成されている。2004年までに、自治区全域で開通した道路は43500㌔に達し、92%の町と73%の村に道路が通じた。ラサのゴンガ空港とチャムドのバムダ空港の開港は、チベット経済・社会の発展をさらに飛躍させる原動力となった。青海チベット鉄道のレール敷設工事がチベットにまで達し、今年中にすべての敷設工事が完成し、来年には試運転が行われる見通しとなり、チベットに鉄道がない歴史にまもなく終止符が打たれることとなった。
経済の急発展。1965年、チベットの総生産額はわずか3億2700万元であったが、2004年には211億5400万元に達した。1994年から2004年までの間にチベットの総生産額は年平均12%の勢いで伸び続けた。この成長速度はチベット史上空前のもので、同時期の全国水準も上回っている。
人民の生活水準の大幅な改善。自治区全域の農牧畜民のほとんどは衣食の問題をほぼ解決し、なかには小康(いくらか余裕のある)水準に達した者もいる。2004年の自治区人民の一人当たりの生産総額は1965年の33倍に相当する7779元に達した。都市部の住民の一人当たりの可処分所得は8200元、農牧畜民の純収入は1681元に達した。都市部の住民の預金残高は1965年には2500万元だったが、2004年には108億4800万元に急増し、40年間で432・9倍の伸びとなった。
都市の医療・保健機関も次第に整備されている。2004年末の自治区全域の各種保健機関は1326カ所で、病院、保健所764カ所、疫病予防機関が79カ所、母子保健所が55カ所、ベッド数は6413、保健士8569人、うち医師が3447人となっている。千人あたりのベッド数と保健士の数はそれぞれ2・34と3・13人となっている。2004年、チベット自治区の出生率は17・4%、死亡率は6・2%、人口の自然増加率は11・2%となった。寿命はかつての35・5歳から67歳に伸び、チベットは全国で100歳台の老人が最も多い省(自治区)の1つとなっている。
世相と人間の大きな変化。チベット自治区は成立40年来、発展への道、幸福への道を歩んできた。これは党の民族地位自治政策の勝利であり、チベットの各民族人民の団結・奮闘の成果である。これは、中国共産党こそが中国を救い、中国共産党こそが民族地域の経済・社会の健全な発展を促進し、チベットにより幸福な、より麗しい未来をもたらすことができることをはっきりと証明している。
(人民日報)(2005年8月24日)
|