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中国大使館と東京都日中,藤沢市で聶耳死去80周年記念行事を共催
2015/07/17

    7月11日、駐日中国大使館と東京都日中友好協会は藤沢市で聶耳死去80周年記念行事を共催した。これには中国大使館の郭燕公使、阮湘平、明暁東の両公使級参事官、駐日中国大使夫人の汪婉参事官および各部の外交官代表、日中友好協会副会長で東京都日中友好協会会長の宇都宮徳一郎氏、湘南日中友好協会の柳田秀憲会長、藤沢市の佐藤春雄市議会議長、石井恒男副市長、聶耳記念碑保存会の渡辺光雄会長、全日本華僑華人聯合会の顔安・会長や日本各界代表と華人華僑、中国人留学生代表ら計150人余りが参加した。

    郭公使は次のようにあいさつした。第二次世界大戦終結70周年という記念すべき年に、両国の関係者が藤沢に集まり、共に聶耳を偲び、両国の友好、平和を呼びかけ、歴史の直視という社会のコンセンサスを結集することの意義は大きく、その影響は深遠だ。聶耳とその音楽作品は中華民族の貴重な精神的財産だ。彼が生きた時代は中華民族が存亡の危機に直面していた時期だ。中国は封建社会末期に列強の侵攻に何度も遭い、無数の中華の子女が救国の道を歩き始めた。この間に戊戌の変法、孫中山の指導する民主主義革命などを経たが、何度も挫折した。危急のさなか中国共産党員が新たな革命の道を開き、中国に光明をもたらすとともに、最終的に中国人民を指導して解放を実現した。1933年、弱冠21歳の聶耳は中国共産党に入党した。聶耳の一生は短かかったが、独特の音楽の才能で、人々を奮い立たせる沢山の作品を創作しており、その中にはのちに中華人民共和国国歌となった「義勇軍行進曲」が含まれる。聶耳は音楽の力を使って、全中国人民に怒りの叫びを上げさせ、血と肉で新たな長城を築かせた。

    郭公使は次のように指摘した。同じ時期に日本は次第に軍国主義の道を歩むようになり、中国を含む周辺の隣国に一大災難をもたらし、日本人民も大きな被害を受けた。第二次大戦終結後、友好、平和、不戦は中日両国人民共通の心の声となった。このような背景の下で、藤沢市をはじめ日本各界の友好勢力は毎年自発的に聶耳を記念する行事を行い、聶耳記念碑と記念碑保存会がつくられ、聶耳の事績と友好・平和の理念が広く伝えられた。1981年、聶耳の出身地、雲南省昆明市と藤沢市は正式に友好都市となり、両地の交流は一層活発に繰り広げられた。ここに、これらの成果を収めるために努力された関係者に謹んで崇高な敬意を表したい。

    郭燕公使は次のように表明した。今年5月、習近平国家主席は中日友好交流大会に出席するとともに、次のように指摘した。中日友好の基本は民間あり、中日関係の前途は両国人民の手に握られている。中国政府は両国の民間交流を支持し、両国各界の人びとが中日友好事業に進んで身を投じ、交流協力の中で理解を増進し、相互信頼を築き、友情を発展させることを奨励する、と。中国大使館も日本各界の友好勢力と共に一層豊富多彩な、活力に富む民間と草の根の交流活動を繰り広げて、両国人民の相互理解と友好的感情を増進し、中日関係の持続的な改善・発展をはかるためたゆまず努力したい。

    宇都宮副会長は次のようにあいさつした。民間レベルで日中関係を絶えず前進させ、両国の恒久的平和を実現することが日中友好協会設立の初志であり、協会設立後、65年来つねに変わらぬ信念だった。近年、日中関係が一度著しい困難に直面したが、われわれはこの信念を基に、今日のような活動を含め、歴史を銘記し未来を志向する一連の活動を進めてきたし、今後もこういった活動を続けていき、友好、平和の理念を本当に両国社会各界のコンセンサスにしたいと思う。

    佐藤議長、石井副市長、渡辺会長ら藤沢市各界代表は、次のように表明した。藤沢市は長年、聶耳記念の関連行事を行っていて、聶耳の事績を追想し、両国の恒久平和を願っている。来年、われわれは昆明市と友好都市締結35周年を迎えるが、藤沢市としては聶耳をきずなに、相互訪問、写真展開催などを通じて、地方レベルで日中関係の改善・発展と両国国民の代々の友好に一層貢献していきたい。

    聶耳研究家の岡崎雄児教授は記念行事で「歌で革命を鼓舞する人―聶耳と日本」と題して講演し、聶耳とその時代、聶耳と日本の関係を詳しく紹介した。岡崎教授は、聶耳の生涯を知ることは、実際には日本の近現代史を改めて考えることでもあり、日本はあの時期の歴史を改めて認識しなければ、本当に周辺の隣国と友好の原点に戻ることはできない、と強調した。

    汪参事官は交流会で次のようにあいさつした。聶耳を偲ぶ行事と岡崎教授の講演は参加者、特に若い代表にとって重要な教育的意義がある。時の流れとともに、あの不幸な戦争を経験した人はますます少なくなっており、歴史に対する正しい認識を両国人民で代々伝えていく必要がある。より多くの日本の若者が聶耳を追想する行事に参加することで、あの不幸な歴史を正しく認識するとともに、歴史を忘れないようにすることを希望する。また日本を訪れるより多くの中国人が聶耳記念碑を参観することで、多くの一般市民が60年一日の如く記念碑の保護と追悼行事を通じて、平和擁護、永久不再戦の声を上げてきたことを知るよう希望する。

    交流会では、日本側が日中友好会館後楽寮の中国人留学生と共に「義勇軍行進曲」を歌い、聶耳の故郷の舞踊を披露した。

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