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白土吾夫先生お別れの会における王毅大使の弔辞
2006/09/04

 

   (9月4日、王毅大使は日中文化交流協会主催の「白土吾夫代表理事 お別れの会」に出席し、次の言葉を述べました。)

   白土吾夫先生のご霊前に立ち、中国大使館を代表し、また私個人として、先生にお別れの言葉を述べさせていただきます。かねてから病と闘っておられることを耳にしておりますが、早く元気を取り戻し、中日文化交流に復帰されるよう願ってまいりました。ご逝去の報に接した時、深い痛惜と悲しみを禁じえませんでした。

  先生は中国国民の古い友人であり、中日友好の井戸を掘った功労者であります。青年時代から、先生は中日文化交流事業に身を投じ、両国国民感情の修復と相互理解の増進を目指し、幅広くかつ地道な努力を重ねてこられました。国交正常化の実現にしても、その後各分野における交流の発展にしても、その節目の時に先生の足跡が見られます。先生の人生は、両国文化交流の促進に献げた人生であり、中日関係の回復と発展に尽くした人生であり、アジアと世界平和の擁護に努めた人生でもあります。

   前世紀50年代から、先生は百回以上も中国を訪れ、日中友好の種をまき、両国国民の草の根交流を繰り広げ、毛沢東主席や周恩来総理など中国の古い世代の指導者たちとの間でも深い友情が結ばれました。1960年、毛沢東主席が日本作家代表団とお会いした時、「あなた方の中で、一番地位もなく名声もなく財産もなく、年も若い人は誰ですか」と尋ねたところ、先生が手を挙げました。毛主席は「それなら、あなたが一番たくさんの仕事をしている人ですね」と言いました。まさに先生の生きがいを表すもので、また中日友好の一つの美談にもなっています。

   1972年7月、日中文化交流協会などの招きにより、孫平化氏が上海舞劇団を率いて訪日しました。あの訪問は中日間の初の直行便と一ヵ月後の田中角栄総理の訪中につながるものでした。時の日中文化交流協会事務局長として、先生は歴史的使命感と責任感に燃え、昼夜をおかず、入念に活動を展開し、訪問の成功のためにかけがえのない貢献をなされました。この「舞劇外交」は「ピンポン外交」と同様に、日中関係史上において、重要な一ページを書き記しました。

  近年、中日関係が新たな局面を迎え、心のふれあいを象徴する文化交流がますますその重要性を増しております。この肝心な時期に、われわれは痛くも先生を失ってしまいました。先生のご逝去は中日友好事業、またそれに携わる人々にとって、補いのできない大きな損失であります。中日関係を健全に発展させ、末長い友好を実現することは、両国国民の共通する願いであり、白土先生の長年の宿願でもあります。先生の遺志を継ぎ、その崇高なる目標に向けて努力することは、天国におられる先生への一番の慰めではないでしょうか。先生に最後のお別れを告げるにあたり、この思いを本日ご列席の皆様と分かち合いたいと存じます。

   先生、どうか安らかにお眠り下さい。

 



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