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相原参院議員 平頂山虐殺事件の生存者に国会議員24人の謝罪状手渡す

    日本の相原久美子参院議員は5日朝、88歳の王質梅さんと抱き合いながら涙を流し、申し訳なかったと繰り返していた。一人は加害国の議員、一人は被害国の生存者で、事件は中国東北の石炭の町、撫順市で77年前に起きた。

    相原氏は民主党の参院議員で、遼寧省撫順市には初めて来た。ここは70年余り前、日本の占領地で、3000人余りの一般市民が日本軍によって殺害された「平頂山虐殺事件」(1932年)が起きた。王さんは死体の山からはい出した生存者で、当時11歳だった。虐殺で両親と弟を失った。

    相原氏は次のように語った。母が生きていれば年齢は王さんぐらいのはずだ。母は中国の済南で5年間暮らし、多くの中国人から助けられた。母はいつも私に戦争は人を変えるもので、最大の罪悪だと言っていた。私たちは歴史を鑑とし、新しい日中友好関係を築かなければならない。

    相原氏は東京から来て、わずか30時間余りの滞在だった。目的は書状を手渡すこと。書状は衆院議員10人と参院議員14人が署名した、「平頂山虐殺事件」の生存者に謝罪するものだった。書状には、個人として、日本国民から選ばれた国会議員として、心から謝罪すると書かれていた。

    「撫順に来たのも、平頂山事件の現場に触れるのも初めてだ」、相原氏が撫順で最初に見学したのは平頂山虐殺事件跡記念館で、最初に感じたのは「ショック」だったという。

    1932年9月16日、中国では家族が団らんして中秋を過ごしていた。日本軍は老人や女性、子供を含む、手に寸鉄を帯びない市民3000人余りを平頂山のふもとに追い詰め、集団大虐殺を行い、証拠を残さないよう死体を焼き、内外を震撼させる「平頂山虐殺事件」を起こした。1970年代に撫順市は虐殺事件跡から遺骨を掘り出し、記念館を建てて安置し、追悼できるようにした。

    相原氏は事件の生存者一人ひとりに謝罪状を手渡し、王さんの手を取りながら謝り、苦しかったでしょうと語りかけていた。

    現在、「平頂山虐殺事件」の生存者は5人だけで、平均年齢は90歳に近い。

    記念館を離れる前、相原氏は日中友好が永遠に続き、平頂山の犠牲者の魂が安らかであるよう願って、中国側の関係者と一緒に二本の松を植えた。    (瀋陽5月5日発新華社)



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